オリラジの中田敦彦が講師となって数々の偉人伝の「しくじり」を解説しているこの番組.
あっちゃんの軽妙なトークと鋭い感性で見るものを魅了しています。
今回のしくじり偉人伝は
伊能忠敬
を取り上げています。
番組として初めて尽くしのこの回。
何が初めてかというと
偉人では初めての日本人を取り上げた
“塾生”を一般公募して、スタジオ収録
と、いつもの収録とは一味違ったものとなりました。
なぜいつもと違ったやり方をとったのでしょう。
しくじり偉人伝
伊能忠敬に焦点を当てた理由を見ていきましょう。
出典 http://www.tv-asahi.co.jp/shikujiri/next/
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伊能忠敬って?何した人?
江戸時代に地球1周分の4万キロという距離を歩いて、
正確な日本地図を書いたとされる人物です。
江戸時代の平均寿命は50才くらいだったと言われた中、50歳の時に19歳年下の天文学者
高橋至時に弟子入りし暦学・天体観測・測量などの知識と技術を学びました。
そして日本地図の測量を始めたのは、なんと55歳からです。
そんな忠敬ですが、子供時代は早くに母を亡くし、婿養子だった父は忠敬をおいて実家に
帰ってしまいます。
生家では母の弟が家督を継いでいたので、肩身の狭い思いをして育ちます。
ですが、勉強が好きで、非常に頭が良かったといわれています。
18歳の時、しょう油の醸造を営む商家・伊能家への婿入り。
忠敬の妻は、学問に対し「道楽」という観点を持っていた姉さん女房だったことから家業に
専念します。
伊能家は手広く商売をしており、忠敬は頭の良さを随所に発揮していきます。
その頭の良さは、計算や商いだけにとどまらず、江戸三大飢饉の1つである
「天明の大飢饉」
忠敬の采配で、嫁ぎ先の村から誰一人として
飢餓者も出さず、反乱も起こさせませんでした。
「天明の大飢饉」は餓死者は30万人とも50万人ともいわれ、何も物をたべることができずに
大勢の人が亡くなっています。
食べるものがなく飢えた人の中には、人の肉まで食べたと言われている大飢饉です。
49歳のときに、家督を息子に譲り、以前から興味のあった天文学を学ぼうと江戸に行き、
高橋至時の門下生となり、日本地図の測量を始めます。
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中田敦彦
あっちゃんは慶応大学経済学部という高学歴の持ち主。
アメートクでも勉強大好き芸人として、独自の勉強法を披露したり、
「大合格」という自らの経験を通して受験生たちの不安や、悩みに真摯に向き合った内容の本
を出版しています。
またクイズ番組ではその博学ぶりを発揮して、視聴者を虜にしています。
昨年のNHK紅白歌合戦ではRADIO FISHとして出場を果たします。
ですが、オリラジは武勇伝で大ブレークし、レギュラー10本の売れっ子だったにもかかわず、
3年でレギュラー0本へ。
その後相方藤森くんのチャラ男とインテリ芸人で再ブレーク
ラッスンゴレライネタで再々ブレーク
そしてRADIO FISH
と、4度もブレイクしています。
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共通点
伊能忠敬も50歳という高齢にもかかわらず、17年という歳月をかけ日本地図を
作っていきます。
17年って、生まれた子が高校生になっていると考えるとすごい時間ですね。
この二人はただ「学問が出来る」ということだけにとどまらず、行動をともなって
活用してます。
そして惜しみなくその知識を教えてくれています。
何度でも、何歳になっても覚悟と信念と行動があれば、やりたいことが出来る!と
証明してくれています。
最後に
あっちゃんはダウンタウン松本人志さんとの騒動で吉本興業からの独立問題が
囁かれています。
本人は独立はない!と言っていますが、ゆっくりとでも地盤を固めながら
自分のお笑いの道を貫くために独立をするのではないでしょうか。
何年かかっても遅すぎることはなく、成し遂げたいことは曲げないという
伊能忠敬の信念に通じるものを感じ、
しくじり偉人伝に伊能忠敬を選らんだのではないでしょうか。